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23万社から3万社に激減

大手3社の発祥の地である大阪では、「勤め人信用貸し」「団地金融」といった名称で知られるようになりました。定期的な収入があり、企業に一定年数勤務しているサラリーマンは、返済能力が高いと判断できるからです。「サラ金」の名はここから由来しています。しかし、会社によってはその歴史に若干の違いがあります。たとえば、アコムは旧社名が示すとおり、もとは呉服屋を営んでいました。着物を購入した人に金を融通する機会があったことから、貸金業が始まったと言われています。73年にいわゆる「石油ショック」が起きて、日本経済は大打撃を受け、庶民の生活を直撃しました。このため、消費者金融の利用者が急増しましたが、一部の悪質業者による過剰貸付や高金利などが社会批判の的になり、78年ころからマスコミによる「サラ金批判キャンペーン」が巻き起こります。83年に改正貸金業法(サラ金2法)が施行され、貸出上限金利は年109.5%から73.0%に引き下げられました。同時に、それまで融資していた銀行が社会的批判を浴びて貸金業者への資金を引き揚げました。こうした結果、倒産や廃業する業者が続出、84年の貸金業者数は前年の23万社から3万社にまで激減していきます。大手のプロミスは一時資金難に陥り、倒産寸前にまで追い込まれたほどです。業界は、こうした苦い経験をバネにして財務体質を強化し、主力商品の無担保ローンの利用者を拡大させていきます。

米国の国際不均衡問題

ブレトンウッズ体制の下では、米国は金一オンスを三五ドルの比率で各国の中央銀行と取引する義務を負っていた。この義務が米国の中央銀行に課せられることによって、米国が実体経済に対して過大な貨幣を供給することを制約する仕組みと考えられていたのである。しかし、六〇年代に米国は完全雇用の達成を優先して、拡張的な金融政策を運営した。そのため六〇年代の終わりから米国のインフレ率は次第に高まった。米国のインフレは、固定相場制の下では、他の国の通貨で測った米国の物価が他の国の物価に比べて上昇することを意味する。このため、米国の国際競争力は低下して、その経常収支の黒字は大きく減少し始め、六〇年代の終わりにはほぼゼロになり、七〇年代にはいると赤字になった。これにより、マルクと円は実質的にドルに対して切り下げられた(物価で調整すると、実質的な円安・マルク安になった)ため、両国の経常収支は大幅な黒字になり、それに伴って貨幣供給量が増大し、両国でもインフレ率が上昇した。これは米国の過大な貨幣供給とそれによるインフレが、外国の過大な貨幣供給とインフレを招くという意味で、米国のインフレが外国に輸出されたことを意味する。

担保の変更

様々な事情で、融資実行後に担保を変更しなければならないことがあります。その場合は慎重な対応を心掛けて下さい。例えば、A不動産からB不動産へ変更したところ、後になって傾斜地だったとかの問題が出てきた、というケースがないとは限りません。担保の変更を失敗することによって、犯行の債権保全が脅かされるようなことにでもなれば一大事です。そのため、担保変更時には十分な注意が必要ですし、やむを得ない事情がある揚合を除き、変更には慎重を期します。実務上で最も多いのは、有価証券担保の差し替えなど。お客様の中には、銀行の承諾も得ないうちに証券会社との間で電話売却を行ってしまうような方がたまにいらっしゃいます。みなさんの取引先の中にはそのような方はいらっしゃいませんか?もし、いらっしゃれば担保の意味を十分、説明して下さい。担保変更をするときには、相手の事情、また取引先の業績がどのように推移しているかなど、事前によく検討してください。ただ保証人変更のうち、オーナー経営者の場合は、原則、自分が経営している会社の連帯保証を負っていただくのが一般的であって、変更は難しいでしょう。オーナー経営者の連帯保証は、いざというときの債権保全という前に、会社経営に熱を入れてもらうための精神的側面も大きいからです。